実はちょっと前から、米サンフランシスコより帰国しております。
すでに2週間の外出自粛期間は終了しており、そろそろよいかなということで公言。
せっかくなので帰国時の状況などを軽くレポートしようかなと思います。
(雑記なのでいつもよりも書き方がかなりラフ、かつところどころ関西弁になることをご容赦ください/神戸育ち)
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「世界中でSAKEが飲まれる」とはどういうことか?──Arizona Sakeの場合
新型コロナウイルスにより各州でロックダウンが施行され、アメリカにおけるSAKEのシーンが変化しつつあることを予感した3月中旬、脳裏に過ぎったのは昨11月、取材に訪れたアリゾナ州ホルブルック「Arizona Sake」創設者・櫻井厚夫さんの言葉だった。
「たとえ世界が終わりを迎えても、僕はSAKEを造ることができるんですよ」
空港のある(といっても極めて小さい)フラッグスタッフと、櫻井さんの住む人口5000人の町・ホルブルックをつなぐ州間高速道路40号線(I-40)を走りながら、冗談まじりに語るその横顔を見つめる。
ここへ来たことを、感謝された──簡単なことだ、飛行機に乗っただけ。それでも櫻井さんの口ぶりからは、「今度行きますね!」といって一向に訪れはしない人々が、これまでに何人もいたことを想像できた。
「基本的に引きこもりなんですけどね」、わたしは応える。「でもSAKEがあるならどこへだって行くんです。SAKEだけが、わたしをここに連れてくる」
ワインになるのか、ビールになるのか──アメリカの酒文化に学ぶSAKEの未来
SAKE Streetという日本酒/SAKEメディアにて、「アメリカの酒文化に学ぶSAKEの未来」という前後編の記事を寄稿させていただきました。
前編は、アメリカでSAKEを造るクラフト・ブルワリーが増えている背景と、アメリカSAKEの未来について。「アメリカSAKE、クオリティ的にはまだまだ日本に敵わないかもしれないけど、ビジネス面では超優れてるし、甘く見てるとすぐ追い抜かされちゃいますぜ(意訳)」みたいな話をしています。
剣菱への愛を語らせていただきました
なぜ、SAKE Journalistなのか【プロフィール記事】
目次
- SAKE Journalistとは、なにをやっているのか
- なぜ、ジャーナリズムなのか──学生〜会社員期
- なぜ、SAKE(日本酒)なのか──編集ライター期
- なぜ、SAKE Journalistなのか──現在
穏やかな非日常の中で──ロックダウンするアメリカ、SAKEのこれから
日常が裏返る経験を、人生で何度かしている。
すさまじい揺れと、母親の叫び声とともに目を覚ました小学校進学手前、1995年の冬。黒い波が逃げ惑う車を飲み込んでゆくのを茫然と見つめていた大学卒業目前、2011年の春、etc。
大きな地響きとともに裏返されたそれらに比べれば、今回はずいぶんぬるぬると色を変えていった。ぱたぱたと倒れてゆくドミノが、上から見おろすと何かの絵を浮かび上がらせるみたいに。
いま、わたしたちは静かな非日常の中にいる。
誰か、早くここへ来てくれないか━━日本酒づくり新規参入への提言
空と砂しかない世界だった。フロントガラスが映す果てしない砂漠を眺めながら、運転席に座る櫻井さんは、「わざわざこんなところまで、すみません」と苦笑いした。
「超興奮しています」、わたしは応える。「こんなところでSAKEが造られている、それは希望でしかない」と。
米アリゾナ州、人口たった5000人の町ホルブルックでArizona Sakeを営む櫻井厚夫さんのもとを訪れた矢先のことだった。一泊二日の弾丸旅行から帰り、長距離移動の倦怠感にどこか心地よさすら覚えながら、布団に潜ろうとしていたとき、Twitterのタイムラインに下記のニュースが流れてきた。
「日本酒づくり、新規参入を許可へ 輸出向け特化 政府が酒税法改正へ」
ついに、このときが来た!
カネとナカタと日本酒と 〜その愛が、酒を殺してしまわぬように〜
中田英寿が話題である。日本酒ファンのあいだで。
この記事が公表されてからのことだ。
元サッカー日本代表・中田英寿氏は現在、日本酒を世界に発信すべく、さまざまな取り組みをおこなっている。
そのプロジェクトの中で、彼がプロデュースしたオーダーメイド冷蔵庫「MIYABINO」。
これが297万5000円(組子オプション付360万円)と高額であるがゆえ、ある一定数のひとびとの気持ちに火がついてしまった。
簡単に言えば、「中田氏は日本酒を使ってお金を儲けようとしているのではないのか?」と疑ってしまっている、ということだ。
【漫画エッセイ】アメリカでSAKEを飲む
日本酒は誰のもの〜SAKEは「日本酒」を名乗れない!?〜
先日、サンフランシスコで開催されたとある日本酒のプロモーションイベントのお手伝いをしてきた。
会場には、日本からこの日のために渡米した酒造や、アメリカ国内に拠点を持つメーカーが、ブースを構えていた。
そんな中で、こんな会話を耳にした。
「最近は、アメリカでも日本酒の酒造が増えてきているみたいですね」
「ええ。でも、彼らは『日本酒』を名乗れませんから」